star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(15) 準備

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窓口の営業時間にあわせて有休をとって実家近くの郵便局まで向かう。片道二時間半のプチ旅行だ。窓口で名前を伝える。しばらく待っていると、配達担当だという方が出てきてくれた。ご足労いただいてすみません。少し前にお父さんからお電話もいただいたんですけどね、簡単にお渡しするわけにもいかないので…と少し言い訳めいた口調で担当の方が説明してくれた。父親も何とかしようとしていたのか。それでできなかったからあの態度だったのか。経緯は理解したけどだからといって許せるものでもない。必要な自治体からの書類以外も、局留めにしていた郵便物は全部受け取ることができた。それでですね、と担当の方が言いにくそうに続ける。一応、局留めできる期間は一週間程度と決まっていまして…お父さんから連絡いただいて、何とか期限を一ヶ月ちょっと延ばしているんですけど、退院されるのはいつ頃でしょうか…?
ここでも無理やり自分の主張を捻じ込んでいたのか、と頭がクラクラした。すみません、すぐに転送届を出して私の家に届くようにしますので…何度も謝りながら郵便局を後にした。ついでに実家に寄るつもりでバスに乗る。車中でネットの転送手続きをすぐに済ませた。とりあえず必要な書類と郵便物の手配ができた。ほっとした。実家に行き、受け取った郵便物を仕分けして父親に見せた方が良さそうな書類を持ち帰るため鞄に仕舞った。一時間ほど家の空気を入れ替えてから帰った。

数日後、井田さんから電話があった。お父さんとお話しできましたよ。一通り説明して、ご納得いただけました。と開口一番伝えられてほっとした私はどっかりと椅子の背もたれに沈み込んだ。それでね、と笑いを含んだ声で井田さんが続ける。料金のことを説明した後にですね、日当たりの良い部屋じゃないと嫌だとおっしゃられて…。東向きか西向きの部屋しか無いと言ったらじゃぁダメだ、行けない、と言われて。いやいやいや、って詳しく説明したりしたんです。面談の後で施設長に話して、一番明るい部屋を用意してもらいましたから。ご安心くださいね。当日、そのまま病院から施設に直行することもご了承いただきましたから。と付け加えられる。ありがとうございます、を繰り返すしかなかった。井田さんの明るさと手腕に縋りっぱなしだった。

こちらからも報告がありまして…と郵便局に行って書類を無事受け取れたことを伝える。良かったです。おつかれさまでした。と井田さんは労ってくれた後で、それで、書類に書かれていた保険率は何割負担でしたでしょうか?と聞かれた。えぇと…三割ですね。と受け取ってきたばかりの書類を引っ張り出して読み上げる。えっ。と井田さんが電話の向こうで固まった。大体の人は二割負担なんです。もらっている年金額で負担が変わるんですけど、お父様たくさん働かれていたんですね…いやでも、どうしようかな…。

井田さんが少し困った様子で話を続けた。お父様には、費用のことを説明するときに二割の前提でお話ししちゃったんですよね。三割の方は見たことがなかったので…すみません…。しばらくそうなんですね…そうなんです…どうしましょう…うーん…。施設の費用の請求は二ヶ月後に引き落としなんです。入所した翌月は医療費と介護保険費だけが引き落とされるのでそれほど費用がかかっているようには見えないと思います。問題は再来月の月末ですけど…その頃、どういう状態か…。井田さんの柔らかい口調ながら淡々とした説明に耳を傾けていた私は、井田さんの『再来月の状態』という言葉をぼんやりと聞いていた。父親がそんなすぐ先の未来も分からない状態だとは到底思えなくて、人によっては失礼だと怒るかもしれないやりとりに何の感情も湧かなかった。

しばらくお互いにうんうんと唸っていたが、今更本当の金額を伝えられるわけがない、という感触だけは共通していたのでとりあえず今は黙っておきましょうか。と問題を先送りにする結論に至った。

翌日の昼休みに阿部さんからも電話があった。退院日の段取りの確認だったのだが、父親が一度家に帰りたいと言っているという。井田さんの話では真っ直ぐ施設に行くと言っていたそうだが、まぁこれは想定の範囲だ。どうしても譲れない部分なのだろう。阿部さんに分かりました、と答える。私から了承の返事をもらった阿部さんは当日のスケジュールを説明してくれた。施設での手続きを済ませるためにはどんなに遅くても午後二時までに来て欲しいとのことでしたので、朝イチで会計を済ませられるよう手配します。娘さんは朝十時には病院に来ていただけますか。今のお父さんの状態なら介護タクシーじゃなくて普通のタクシーで行き来できますから、普通のタクシーを使ってください。病院を出る時に呼んでも十分もかからずすぐ来ます。全てにはい、はい、と答え、分かりました。よろしくお願いします。と電話を切った。

夜になって、父親からも連絡が来た。郵便局に行ったよ。書類は受け取れたから、他の郵便物も一度持って行くよ、と伝えると父親はあそう、とだけ言った。退院の日は早めに迎えに来てくれよ。家に寄って、そのあと施設に行かなくちゃならないから。と父親が続ける。分かったよ。施設には遅くても二時までに行かなくちゃいけないから、一時には家を出よう、と答えると父親は一時ね。分かった。と返してきた。思ったより素直に施設へ行くつもりでいるらしい。…と思いかけていやいや、と心の中で首を振った。まだ分からない。当日どう出てくるか分かったもんじゃない。
私の不安な気持ちを知る由もなく、父親は洗濯物が溜まってるから次の週末に取りに来てくれよ、と言った。先週も洗濯物を引き取ったばかりだった。この一週間で溜まる洗濯物なんて、せいぜい下着が数枚くらいだ。週末から十日後には退院なのになぜギリギリまで呼びつけるのか全く理解ができない。もう来週退院だから少し待っててよ。その時引き取るから。と伝える。うん…と父親はあまり納得のいっていない様子だったがそれ以上何も言わず、いつものように弟はどうだ?連絡ついたか?と聞いてきた。私は一瞬だけ躊躇ってから、弟は会わないって。会いたくないって。と伝えた。父親が会いたくない?会いたくないって?と何度も聞き返してきた。うん。会わないって。会いたくないって。遺産も何もいらないんだって。と繰り返す。何度目かのやり取りが終わると父親がそうか。と言って少し黙ってから、どうするんだろうな、あいつは。と深い深い溜息のように言葉を吐き出した。ほんの数秒沈黙が流れた後、父親はじゃぁ、とにかく来週は早く来てな、よろしくな。と念を押すように言って電話を切った。

週末は大忙しだった。父親のために新しいタオルと、小物を入れておくチェストを探し歩いた。百均で小さなごみ箱や洗濯籠、お風呂に持って行く手提げ籠などを揃え、ドラッグストアでボディーソープやボディークリームを買った。父親のものだったが、新生活の準備という行為が久しぶりで単純にワクワクしてしまった。私もたいがいだなと思った。



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