star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(5) 病院からの説明

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病院との約束の時間になった。通常の診察とは違って、医療相談室というところに行くらしい。外来患者で騒がしいロビーを抜け、ひっそりした雰囲気の廊下を奥へと進む。案内版などはなくて、たどり着いた廊下沿いに並ぶいくつかのドアも閉まった状態で人の出入りが無い。どこだろう、と三人でウロウロキョロキョロしていたら父親が『関係者以外立入禁止』と書かれたエリアにずんずん進むのが見えた。ちょっとそっち立入禁止だよと声を掛けたが父親はこちらを見ようともせず、たまたま通りかかった職員らしき人に阿部さんいますか、と話しかけた。阿部さん…医療相談の阿部さんですかね、と職員さんが立入禁止のエリアから私たちのいる廊下まで出てきて近くにあったドアを開けて阿部さーん、と呼びかけてくれた。阿部さんと呼ばれた女性が顔を出し、父親を見つけて「あ、こんにちは。ちょっと資料を準備しますのでそちらのお部屋でお待ちください」と言って向かい側の部屋のドアを開け、私たちに座るよう促し、また姿を消した。
先ほど父親に渡されたパンフレットを見たりスマホをいじったりして過ごすこと数十分。阿部さんはなかなか戻って来ない。約束の時間通り来たのに何故こんなに待たされるのか。段々と苛々してきた私は阿部さんを探しに行こうかなと考え始めた。さらに十分ほど経過し、あと五分待って阿部さんが来なければ探しに行こうと決めた頃、ようやく阿部さんが戻ってきた。大変お待たせしました、と阿部さんから今後について具体的な説明を受けた。

曰く、父親が受ける手術は気管切開の手術で、喉の部分にカニューレという器具が嵌められること。この器具を付けると痰が溜まりやすくなり、夜間でも痰の吸引が必要になること。自力で痰を吸引できる人は滅多にいないので、二十四時間ケアできる人がそばにいる必要があること。気管切開した人をケアできる施設は限られていて、この病院から近いところだと二カ所。近い方の施設は高額で、ちょっと離れるがもう一カ所の方が初期費用もかからず、年金で賄えるくらいの予算で利用できること。

阿部さんからの説明が終わり、父親が介護保険のことを質問した。施設であっても介護保険は使えるそうだ。ただし、要介護の認定度によって使える保険料が変わってくる。父親はこれまで介護保険を使ってお世話になるようなところが全くなかったので、改めて審査を受けて介護保険の認定を受けなくてはならないらしい。
事前に介護保険の認定が必要だということを聞いていたらしい父親は、既にこの審査を自分で自治体に申し込んで受け終わり、結果連絡待ちの状態だった。それを聞いた阿部さんの顔が少し曇る。 「そうですか…。今のお父様の状態だと、一番軽い『要支援1』がつくかつかないか…。一応、それでも施設は受け入れ可能だと確認できていますが、保険料が変わってしまうんですよね…」
そこで今度は私が介護保険のことを質問した。介護の度合いによって使える金額が変わるのは分かったが、具体的に何に使えるのか。施設の利用料がこれを使うことで割引されるのか。阿部さんは素人の質問に丁寧に答えてくれた。介護保険として使える用途は定められていて、施設の利用料が引かれるわけではないとのこと。介護のために必要なこと、例えばリハビリのための器具だとか補助してもらう介護職員の利用料とか、そういうものを介護保険でまかなうらしい。なんとなく分かったような、分からないような。今でもちゃんと分かってるとは言い難い。こういうのを基本的なことから詳しく教えてくれる場所を知りたい。

阿部さんは手術の後にもう一度審査を受けた方が良いかもしれません。と言って父親から審査した自治体の担当者を聞き出した。あとは年金の受給額で医療負担額が変わるんですが、年金は年間でいくらくらいもらってるか分かりますか?と聞かれた。ちょっと分からないなぁと父親が答える。阿部さんが今すぐでなくていいので、入院するときにでも教えてください、と父親と私に伝えた。それから、介護保険の再審査についてもちょっとこちらから自治体に電話して確認してみますね、と言ってくれた。有難い。
一通り話が終わったあとで父親は阿部さんに先ほど口汚く罵っていた事務職員の対応についてクレームを入れた。あぁそうなんですか、すみませんでした。と慣れた様子で受け応えする阿部さんに対して本当にすみません。と恐縮する私。いえいえ、と阿部さんの全く意に介していない様子を見て、私にとっては真正面から暴言を受け止めてしまいガッツリ傷つくトラウマを刻まれた父親でも、他人から見ればただの小うるさい老人なのだと初めて世間の目線に気付いた瞬間だった。ご自宅の処分なども早めに検討した方がいいですよ、と父親がいる場で、父親にではなく私に向かって言う阿部さんを見て老いた父親に対する切なさと、父親を蔑ろにされたような苦しさと、そして適当にあしらわれている父親に思うざまぁ見ろという意地の悪い喜びと、いろんな感情がこんがらがって胸に残った。

もう一度念を押すつもりで私から改めて父親に阿部さんから聞いたことを説明した。利用料は月に○○○円くらいだって。介護保険は利用できるって。それから、本人の納得感を高めるためにも良いだろうと考えて施設に見学に行く?と聞いてみた。他に行くところが無いなら見に行ったって仕方ないだろう、と父親が言うのでとりあえず見学は無しになった。とはいえ、私は行って見ておいた方がいいだろう。時計を見たらもうすぐお昼だった。ここからすぐに施設に連絡すればそれほど遅くならずに済みそうだと算段をつける。よし、がんばろう。

阿部さんにお礼を言って私、叔母、父親の三人になった。叔母さんが父親に送るよ、と声を掛けた。じゃぁ私はここで…と口を開こうとすると父親が私に向かって家にある年金の書類を見てほしいんだ、と言う。叔母がその書類は別に今じゃなくても良かったんじゃない?と先ほどの阿部さんとの話で出てきた説明を繰り返して父親に伝えてくれたが、その話じゃ無いんだと父親は首を横に振って年金の書類に連絡先が書いてあるから、そこに連絡しないと大変なことになるから、と主張する。ムッとして黙る叔母に続いて今度は私がこれから施設へ行って説明聞いたりしようとしてるんだけど、と返すが父親はただ頷くだけだ。黙ったままこちらを見る父親の目を見返しながら心の底からイライラがこみ上げてきた。まただ。この人はいつもこうやってなんやかんやと後出しでつべこべ言って人をコントロールしようとする。こっちはあんたのために色々動こうとしてんだ。今日は病院への付き添いって話じゃなかったのか。
ものすごく腹が立ったが諦めて叔母の車に同乗させてもらい、さっさと実家に戻ってさっさと帰ることにした。駐車場までの道にある階段を、父親がスタスタと上る。この人本当に息が苦しいんだろうか。全然元気じゃん。そんな様子にさらに苛立ちが募った。帰りの車の中では父親が二度も三度も昼飯どうすんだ?と聞いてきた。最初のうちは叔母がいらないよ、と答えていたが何度も繰り返される問いにムッとしたのだろう、終いには何も答えなくなった。何度目かの問いに対して私がいらないって、私もおばさんもいらない。と少し大きい声で強く答えてようやく黙った。

実家に着いた。父親が年金の書類とやらを見せてくる。これ、ここに連絡先があるから。俺がいなくなったらすぐ電話しないと不正受給になるから…と、予想していた通り何度も聞いた話を聞かされただけだった。分かった、分かったよと答え、滞在時間二十分で叔母と一緒に家を出た。叔母が最寄りの駅まで車で送ってくれた。車中はお互いずっと無言だった。

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