star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(26) その日

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翌週、会社で室内にスマホを持ち込めるよう申請手続きを行った。これで何かあってもすぐ駆け付けられる。地元の葬儀社を調べ始めた。葬儀会場はあちこちに点在していたがよく見ると全部同じ会社だった。田舎なので老舗の会社一強状態だ。そういえば、と二十年以上前に祖父の葬儀でお世話になったことを思い出した。その時利用した会場はきれいだったし、特に悪い印象も無かったし、駅から徒歩で来られる。ここが良さそうだ、とあたりを付けて電話番号を控えた。

スマホを持ち込んですぐ、施設の責任者の木内さんから電話があった。もしもし、と受けつつ廊下に移動する。あ、娘さん?来週月曜に通院の予定で来るって聞いてるんだけど、今週も来られないかしら?ちょっとお父さん、顔色があまり良くないのよ。と言われた。そうなんですか。私も週末の土曜に夫と行くつもりだったんでお伺いします。と答えた。あらそうだったの。義理の息子さんってことね。分かったわ。お父さん喜ぶわね。面談の予約しておきますね。木内さんはそう言った後にお父さん本当に頑張り屋さんね。来週通院だから、って繰り返し言うのよ。もう休んだっていいのに。切なくなっちゃう。と続けた。泣きそうになるのを堪えたままはい…そうなんです。とだけ答えて電話を切った。なんでそんなにがんばるの。もう休んでいいよ。お父さん。木内さんの言葉が耳から離れなくてなかなか気持ちが切り替えられず、トイレに行って泣いた。

銀行に寄った日以降、最寄り駅から家までの帰り道では毎日のように泣いていた。お父さんがいっちゃう。一人になっちゃう。独りぼっちだ。取り残されちゃう。どうしよう。独りにしないで。
理屈じゃなかった。私がこれまでの人生で出会った人間の中で一番大好きだと思っている夫ですら、独りじゃないと思える力にはならなかった。私の中で父親を喪うことの心細さは暴力的な存在感を放って居座り続けた。

金曜日になった。よく晴れていた。起きて会社に行くため身支度を整えながら私は、今日がその日かもしれない。と確信に近い予感を抱いた。
とにもかくにもお金だわ、と思った私は父親のキャッシュカードが入ったケースを通勤バックに放り込んで家を出た。

昼前に施設から電話が入った。やっぱりか、と思いながら出てみると介護スタッフの人からで、お父さんなんですけど、今までクッションを一つだけ使ってたんですけどそれだけだと辛そうなので、もう一つクッションのレンタルを増やして良いですか。という内容だった。はい、お願いします。と答えて電話を切り、確信を強めた。こんなの前振りでしかないだろう。

三十分もしないうちに再度電話が鳴った。廊下に出る間も惜しんでもしもし、とスマホを耳に近づける。あ、娘さん?といつもの声がした。木内さんだった。明日来るとは聞いてるけど、今日来られないかしら?
一度大きく息を吸ってから、もう意識がない状態ですか…?と聞いた。ううん、あるの。あるけど、ますます顔色が悪くてね。意識があるうちに会わせてあげたい。
分かりました、すぐ行きます。と答えた。木内さんはうん、待ってるね。と言って電話を切った。速足で上司の席に向かう。すみません、父が…っ、危ない、らしく、て、…涙が堪えられなかった。行きなさい。すぐ行きなさい。皆まで聞かずに上司が静かに言った。
自分の席に戻った。机の上に広げていた書類をバサバサと片付ける。同僚にはなんとか途切れずに、ごめん、父がもう危ないらしくて、帰らせてもらうね。と言うことができた。同僚の顔がさっと頼もしい意思を持った表情に切り替わった。わかりました。こちらは大丈夫です。と力強く言ってくれた。もう一人、部内のまとめ役のような同僚にはごめん、父が…としか言えずに涙をこぼしてしまった。帰るね、と続ける。うん、気を付けて、と同僚が気遣ってくれた。

そのまま小走りで会社を出た。駅までの道も走り続ける。駅のホームで施設の最寄り駅までの電車を調べた。最短で行けるルートを選んで電車を乗り継いだ。 最後の乗り換えを終えてから同僚に業務の引継ぎでメールを送った。同僚からは再度、こちらは大丈夫ですから、しっかりお父様を見送ってあげてください、と頼もしい返信がった。続けて夫と叔母に連絡を入れた。することが無くなると頭の中は父親のことでいっぱいになった。おとうさん。待ってて。おとうさん。一人で逝かせない。ちゃんと見送るから。

祈りなのかなんなのか分からない気持ちを頭の中で繰り返しながら電車に揺られていると、電話が鳴った。申し訳ないと思いつつ、事情が事情なのでこそこそと電話に出た。訪問医の病院からだった。


すみません先ほど施設からご連絡いただきまして。今こちらに向かわれてると伺いましたが、私どもは先に行って手続きを進めていてもよろしいでしょうか。


何のことか分からなかった。いや、分かりたくなかった。けっこう腹が立った。
私は父が危ない状態だ、とだけ聞いて施設に向かっているんですけど。もう息をしていないってことですか。と聞いた。

電話の向こうであっ…と気まずい空気が流れているのを感じた。あの、はい、我々はそう伺っています。と言われた。

施設では気遣って私への連絡を控えていたが、空気を読まない病院が無邪気に電話してきた、そんなところだろう。もういい。なにもかも。

午後四時には到着しますので、それまで何もしないでください。とだけ静かに言った。病院の担当者は、はいわかりましたと答えてそそくさと電話を切った。


電話を切ると、夫から少し仕事を片付けたらすぐ行くから、と返事があった。叔母は最初のうち、あまり事態が飲み込めてなかったらしく、明日ではだめでしょうか。という返信があった。今連絡があって、もう息をしていないそうですと返すとすぐに行きます、という返事が届いた。

施設の最寄り駅に着いた。施設までの道をまた小走りで急いだ。入るとすぐに木内さんが来てくれて、一緒に行こうか、と部屋までついてきてくれた。

蛍光灯のライトが白々しいほど部屋を明るく照らしていた。ベッドの周りがやけにすっきりしていた。そっか。点滴も、酸素ボンベも、もう必要ないんだ。木内さんに促されて父親に近づく。木内さんが●●さん、娘さん来たよ、と父親に向かって声を掛けた。色んな煩わしさを取りきった父親が、口と目を少し開けて寝ていた。手に触れてあげて。まだ暖かいよ。話しかけてあげて。木内さんがそう言い残して父親と二人きりにしてくれた。

耳は最後まで聞こえている、という話はよく聞いたことがあった。この状態でも間に合いましたね、という医療職の方もいるらしい。父親は身体を動かせないだけで聞こえている、私もそう感じた。そっと手に触れながらお父さん。おつかれさま。と言った。そのまま話しかけ続けた。


なーんにも心配いらないからね。全部ちゃんとするから。心配しなくていいよ。

銀行にお金入れられたよ。暗証番号違ってたよ。参っちゃったよ。でも家にメモが残ってたからなんとかなった。ありがとうね。

医療保険もちゃんともらえるように手続きするからね。年金もすぐ電話するよ。

弟のことも大丈夫。きちんとあの子にも遺してあげるように分けるよ。

お墓のことも任せて。私が引き継ぐよ。

証券会社の塚原さんにも会ったから。ちゃんと名義変更終わらせるからね。

大丈夫。ここまであたし全部できてたでしょう?大丈夫だよ。

……なんで待っててくれなかったのかなぁ。急いで来たのに。

…ありがとうね。お父さん。………ありがとう。

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