star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(25) 銀行行脚

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施設から駅に向かって歩いている途中で父親が取引している証券会社に電話した。数日前、万一のことがあった際、動けない本人に代わって様々な手続きができるようになる「代理人設定」というサービスの申込書が届いたばかりだった。中に入ってた名刺を頼りに、塚田さんという方を呼び出した。 塚田さんはちょうど席にいた。●●の娘ですが…と名乗ると、あぁ、とすぐに分かった様子で初めまして、お父様の具合はいかがですか、と聞いてくれた。実はあまり状態が良くなくて、そのことで、ちょうど今日近くまで行くのでご相談にお伺いさせていただきたいのですが…と打ち明けると、そうなんですか。分かりました。夕方でしたら空いていますのでお待ちしていますね、と快諾してくれた。ありがとうございます、とお礼を言って一旦電話を切る。

塚田さんがいる証券会社の最寄り駅に着いた。父親は、この証券会社に入っているお金を引き落とし口座に移したい、と言っていた。約束の時間はだいぶ先だったが、いったん証券会社に入ってATMを操作することにした。
証券会社の入り口には受付があって、今時めずらしく受付スタッフが座っていた。とても静かな空間で緊張しながらATMに近寄り、父親から預かったキャッシュカードを入れる。暗証番号を書き込んだノートを開いてドキドキしながらボタンを押した。

ピンポンピンポン

エラー音が鳴り響く。画面に暗証番号をお確かめくださいというメッセージが出た。嘘でしょう…?
吐き出されたカードをもう一度入れて、父親がこっちじゃない、と言った方の番号を試した。

ピンポンピンポン

同じことだった。今時のICチップがついているカードは暗証番号を数回間違えたらすぐロックされてしまう。検索して調べると、間違えてロックがかかるのはだいたい三回目だという情報があった。危ない。これ以上試すのは無理だと中断して外に出た。

どうしよう、どうしよう、と考える。ためしに、他のキャッシュカードをコンビニのATMに入れて試してみたがやっぱりエラーだった。困った。お金が引き出せない。父親があんなに気にしていたのに。
父親が引落しに設定した銀行は地方銀行だった。メガバンクは無理でも、地方銀行ならなんとかなるかもしれない。直接窓口に相談してみようと思いつき、近くにあったその銀行の支店に入った。
銀行はそれなりに混んでいた。番号札を取って窓口に呼ばれるのを待つ。二十分ほど待って順番がまわってきた。施設にいる父親に代わってキャッシュカードを使って振込や引き出しをしたいが、父親が言っていた暗証番号が間違っている。暗証番号の再発行はできないだろうか、と聞いてみた。

窓口の担当の方は話を聞いてうーん…と悩んでから少し待っててくださいね、と言って奥にいる上司らしき人のところへ相談しに行った。こちらをちらちら見つつ、上司らしき人がうんうんと頷いて私の方に近づきながら、最初に相談した担当の人にご事情がご事情だから、再発行でもいいんじゃないかしら…と話しているのが聞こえた。
お待たせしてすみません、と上司らしき人が私の前に立ってキャッシュカードを確認させていただいてもよろしいですか、と言った。いえ、お手数かけてすみません、と答えながら父親のキャッシュカードを見せる。カードを見た瞬間、上司らしき人があっ、という顔でパスワードの再発行がなくても、ある程度の金額までならご事情をうかがって窓口でお引き出しすることもできますので、ご入用になりましたら改めてご相談いただいてもよろしいでしょうか。と言った。キャッシュカードにはクレジット機能がついていた。銀行だけで使える単純なカードじゃないことで、暗証番号の再発行は難しいと判断されたみたいだ。わかりました。ありがとうございます、とお礼を言って銀行を出た。

どうしよう。詰んだかな。と思った。塚田さんとの約束の時間になったのでとりあえず証券会社に行った。挨拶もそこそこに、父親がもう起き上がれる状態じゃないこと、証券口座に入っているお金を引き出したいが父親から聞いた暗証番号が間違っていて引き出せないことを話した。とりあえず私が記入した代理人設定の書類を見せる。塚田さんは、こちらはお父様ご本人の記入が必要でして…と申し訳なさそうに言ってからお父様が書かれたわけじゃないですよね…と聞かれた。金融さんに嘘ついても仕方ないなと思った私は素直にはい、と頷いた。ですよね。そうすると、代理人設定は難しいですね…と塚田さんが考え込んだ。
ちょっとお待ちくださいね、と言って塚田さんが別の部屋へと入って行った。できそうな交渉は全部不発だった。これ以上どうする方法も思いつかなかった。困ったな。どうしようかな。とぼんやりしていると、塚田さんが戻ってきた。直接証券口座から引き出すことは難しいですけど、お父様が以前設定された銀行口座の方に証券口座から送金することはどうにかなりそうです。ただ…送金を受けた銀行口座で引き出せなくちゃ、意味が無いですよね…。という塚田さんの顔も曇っていた。これ以上ここにいても解決策が無いな、と思った私は分かりました。とりあえず銀行口座で引き出しができる方法がないか探してみます。もし引き出しできるようになったら、改めて送金をお願いするかもしれません。と答えて席を立った。

お役に立てず本当に申し訳ありません…と塚田さんが出口まで送ってくれた。銀行の人も、塚田さんも、なんとかしてあげたいという気持ちが痛いほど伝わってきてありがたかった。いえ、ここまで考えていただいただけでも十分です。ありがとうございました、と言って証券会社を出た。

交渉でどうにかできる道は無いな。なんとかして暗証番号を調べるしかない。という結論を出した私は、一路実家を目指した。家の中に何かヒントがあるかもしれない。もうそれしか思いつく手がない。頼む。あってくれ。 電車とバスを乗り継ぎ、一時間かけて実家に着いた。父親が本や書類をしまっていた棚を開き、中に入っている書類などを片っ端から開いていく。昔取った資格証明書、会社の人と写っている写真、ものすごく若いころの白黒写真、馬券を買うときに使う購入用紙の束…。ロクなものがありゃしない。
棚に飾られていた、父親の母親、私のおばあちゃんの写真に向かってねぇなんとかしてよ、と愚痴った。父親が子供の頃に亡くなっているので面識はないが、あなたの息子さんによってあなたの孫がこんなに苦しんでるんですよ、と恨み言のひとつも言いたくなった。
これじゃない、これでもない、、と諦めムードが漂う中残りわずかとなった棚の中身を点検していく。会社のノベルティでもらうような細長い手帳が出てきた。おっと思いながら一ページ目から順に一枚一枚確かめる。

最後のページまでいったら、裏表紙にネット銀行の略称でよく見るアルファベットと四桁の番号が並んで書かれていた。ん…?これって…?

いや、でもネット銀行なんてお父さん使ってたかな。このアルファベットの並びって本当にネット銀行のつもりで書いたのかな。

かすかな希望の光にどきどきしながら、いやでも分からないぞ、と思いつつスマホで手帳の写真を撮ると、ふと少し離れた壁に掛けられていたコルクボードが目に留まった。父親はよくここに、持って行くのを忘れそうな書類だったり、大事な連絡先だったりをピン止めしていた。何の気なしにコルクボードに近づいてまじまじと見ていると、先ほどの手帳と同じ番号がここにも書かれている!しかも、こんどは証券会社の名前と一緒だ!

これだ、間違いない、これだ。動悸が加速する。コルクボードも撮影して、焦りながら書類を雑に片付けて実家を出た。田舎なので駅まで戻らないとATMが無い。早く、早く。気持ちばっかり焦ったままバスを待ち、駅のコンビニに入ってATMへ直行した。証券会社のカードは次間違えたらロックされてしまうので、まずは引落し口座でも証券会社でもない銀行のキャッシュカードを差し込んで試してみることにした。
残高照会を選んでカードを差し込む。暗証番号を押してください、と機械から声がかかった。スマホで撮ったばかりの写真を見ながら、祈るような気持ちで一つひとつ確かめて押す。

ガ…ゴゴゴ…

派手な音は鳴らない。画面に「しばらくお待ちください」という表示が出た。数秒後、画面に残高が表示された。合ってた…!見つかった…!
良かった、あぁ良かった。心の底から安堵し、改めて証券会社のカードを差し込んで、少しだけまた緊張しつつ暗証番号を押した。今度もATMはおとなしいままだった。無事お金が引き出せた。

助かった…。これで口座にお金を入れておける。本当に良かった。お父さんの心配事がひとつなくなった。予定よりかなり遅い時間になってしまったが、軽やかな心で家に帰ることができた。
ほっとしたが父親の様子を思い出すと気持ちが沈んだ。残された時間はもうあまりないことをひしひしと感じた。週明けすぐに通院の予約日がある。たとえ通院できなくても行くつもりだったが、それより前の週末にも夫を連れて会いに行こう、と決めた。帰ってすぐ夫に話し、ずっと気にしてくれていた夫も行くよと即答してくれた。

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