今回はあまりお役立ち情報じゃないかもしれない。心からの思いやりで病人に掛けられた言葉を聞いて、その思いやりには応えられないなと感じた二つの言葉について。
「おかえりなさい」
卵巣の手術で、大学病院に入院した時のこと。以前も書いたが、大学病院の大部屋では診療科こそ同じものの、色んな病気・治療の人が並んで寝ている。
私が入院してから2日後、隣のベッドが埋まった。カーテン越しに漏れ聞こえる先生や看護師さんとの会話から、その方が、抗がん剤治療のために何度目かの入院をされたことが分かった。治療が始まる前から、食欲が無いこと、頭痛がすることを控え目に訴えていらした。これから始まる抗がん剤の投与に、とても重い気持ちでいることが完全に盗み聞き状態の私にすら伝わった。
初めての入院では無いからだろう、その方はほとんどの看護師さんと顔見知りの様子だった。色んな看護師さんが、検温などの仕事で、あるいはただの様子見でベッドまでやって来ては親しげに声を掛けていく。その中の何人目だったろう。若くて熱心な看護師さんが、心からの温かい気持ちを込めて、明るく、優しく「おかえりなさい!」と声を掛けた。
自分の家のように心安く過ごしてほしい、自分は家族じゃないけど、それでもここにいる間は家族のように迎えてあげたい、少しでも安心してほしい・・・そんな気持ちから看護師さんは言ったんだと思う。思うというか、分かった。それくらい、傍から聞いても気持ちが込められていることが分かった。
だけど、私たちは望んで病院にいるわけではない。一刻も早く帰りたい。帰りたいというか、治りたい。この苦しい身体から抜け出したい。一生懸命お世話してくれる看護師さんには悪いけれど、どれだけ過ごしやすくても、いい看護師さんがいても、具合が悪い状態の時にだけ居ることが許される苦しい場所は、決して家にはなり得ない。戻ってくるなんて、考えたくもない。
隣のベッドの方は、黙ったままだった。
「怖い怖い!」
甲状腺の手術日が決まって、会社の人たちに少しずつ長期で休む事を伝え始めた頃のこと。休んで入院して手術するといっても、甲状腺の腫瘍は自覚症状が全く無い。ともすれば、長期のお休みいいなという雰囲気になりかねないほど普段通りで元気だった私は、同僚たちに自分の病状や、これから受ける手術のことを詳しく話してみんなの同情を買うことにせっせと勤しんでいた。
そんなころ、同僚数人で外ランチした帰り道でのこと。まだ手術の事を話していない同僚がいたので、早速活動に励みはじめた私。甲状腺を半分切り取ること、切り取った部位をスライスして細胞の検査をしないと、腫瘍が悪性か良性か分からないこと、甲状腺は首にある器官で、首を切る手術になるため、声がかすれたり出なくなっちゃったりする可能性があることなどを話した。手術で首を切り開くと聞いた同僚から、最初に出た言葉が「えっ、怖い怖い!」だった。
同僚は、私の話を自分のことのように聞いてくれたんだと思う。自分が手術を受けることを想像したら出てきた言葉なのだろう。怖いね、大変だね、気の毒だね、そういう感情からの「怖い」だろう。
分かる。分かってる。それでも私は、言われた瞬間に「怖いのは私であって、あなたではない。」と感じてしまった。相手の思いやりを喜ぶことができなかった。
「相手の立場になって考えてごらん。」子供のころからよく言われる言葉だ。私も人の話を聞いた時はほぼ毎回自分だったらと考える。そうやって想像したなかで自分が言われたら嬉しいだろうと思ったことを口に出したりもする。どれだけ仲が良くても、どれだけ相手の事を思っていても、その人になれない私たちには、自分に置き換えて想像するしか相手を思いやる術がない。だけどそれは、どこまで行っても想像でしかなくて、心底相手の事を考えたつもりでも、しょせん、他人事である自分の気持ちでしか無いのだ。その人自身の辛さを代わってあげることはできない。
どちらも、自分が病気をしなければ感じることがない気持ちだった。新しい視点を増やせた。病気になって悪いことばかりじゃなかったな、と思えることの一つ。