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なんだか遠回りされたような気もするが、大きな渋滞に巻き込まれることなく約束の午後二時ちょうどくらいに施設に着くことができた。施設の玄関前ではなく、隣接している道路に停車されたが初めての場所でこれ以上近づけるかもわからず、また運転手とやりとりを続けるのも億劫だったのでさっさと代金を支払って、トランクから荷物を出した。雨がしっかり降っていたので荷物を濡らさないようここでも小走りだ。
玄関ポーチに着いてからあっと気付く。父親は傘が無いし走れない。しまったと思いながら後ろを振り返ると父親は雨を気にする様子もなく、俯きながらゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。悪いことしたな、大丈夫かな、と思いつつ父親がこちらにくるのを待つ。玄関ポーチまでたどり着き、待っていた私に気付いた父親が、ひでぇ目に遭ったなと言った。タクシーのことだ。通常運転だった。一緒に施設の中へと入った。
中に入ると靴を脱いで上がるようになっていた。ここでもしまった、と思った。父親の部屋履きを用意していない。とりあえず私も父親もスリッパをお借りした。
見るからにてきぱきとした感じの女性が私たちに近づいて責任者の木内です、と名乗った。良く来てくださいましたね、お疲れでしょう。と父親を労いながら車椅子を用意してくれた。父親はやはり疲れたのだろう、黙って素直に車椅子に乗った。そのままエレベーターを使って三階に上がり、ここですよ、と案内された個室に入った。
縦長で八畳程度のワンルームだった。入り口近くに洗面台があって、奥の壁沿いに大きな電動ベッドが置かれている。ドアから見て正面奥にそれなりに大きな窓がついているが、雨が降っているので日当たりは分からない。ベッドと反対側の壁沿いに、私が手配したチェストが段ボールに入った状態で置いてあった。父親は自力で車椅子から立ち上がり、ベッドに座った。木内さんと入れ違いで入ってきたスタッフが看護師長の工藤です、と名乗りながら父親に血圧と体温を測りますね、と声を掛けて体温計を手渡したり血圧を測るための布を父親の腕に巻いたりした。私はその様子を横目で見ながらチェストの入った箱を開き、組み立てる。単純な構造だったけど骨組みを台座に挿し込むときなどまぁまぁ力が要る作業だった。
工藤さんが去ってから父親が着替えるかな、と言って周りを見回してあれっと声を上げた。どうしたの、と聞くとポケットから財布を取り出した格好で貴重品を入れる場所が無いと言う。病院にあるような、鍵のかかる小さな貴重品入れボックスのことを指しているのだと分かった。無い、無いな。これじゃ居られない。こんな話は聞いてない。父親がぶつぶつ呟きながらだんだんヒートアップしていく。ちょうどそのタイミングで、工藤さんが再び部屋に来た。父親は工藤さんに向かって財布を差し出し、これ、預かっててくんないかなと言った。工藤さんは驚いてここでは貴重品は預かれないんです。基本的にお金やカードはご家族の方に預けてもらって、ここには置かないようにしてもらっているんです。
父親は工藤さんに預けるのは諦めたようだったが、納得していないのは明らかだった。工藤さんが去った後、鍵付きのロッカーを買ってくれよ、と私に言った。こんなところ、泥棒ばっかりなんだから。
そんな元気な人はいないと思うけど…と内心思いつつ、分かったよ、と答えて持ち歩いているipadを開き、ネットで「鍵付き ロッカー」と検索した結果を父親に見せながらどれがいいかね?と聞いた。金属のはいやだな、これは高いね、などとなんやかんや話しているとまた工藤さんが来て、娘さんちょっと手続きをお願いしたいのでこちらに来ていただいても良いですか、と声を掛けられた。あ、はい、と答えてちょっと行ってくるね、と父親に向かって言い、父親から預かった銀行のキャッシュカードや印鑑を持って一階の談話室に向かった。
工藤さんから施設について説明を受ける。設備や外出、通院する場合の注意事項、医師の訪問の頻度など多岐にわたって細々とした話が続いたが、ややこしい話ではなかったのではい、はい、と渡された契約書に目を通しながら頷いた。契約書への署名と捺印が終わると今後は救命措置についての同意書を渡された。そこには施設には人工呼吸器が置かれていないので呼吸停止した場合は措置ができないことが予めご了承ください、という前置きで記されていた。そして書類の最後に「緊急時に心臓マッサージなどの救命措置を望みますか」という質問と、はい/いいえに丸をつける欄があった。
工藤さんが、書類の内容をざっと説明してから私はここに来る前に病院で勤務していたこともあるので救命措置の経験ももちろんあるんですけど、まず、戻って来ないです。と言った。そのまま静かに言葉を続ける。戻ってきたとしてもほんのいっときですし、苦しそうな時間が延びるだけです。
目の前にある「はい いいえ」の文字が滲んだ。お父さんが苦しいのは嫌だ。私は、黙ったまま「いいえ」に丸をした。
続けてオプションで申し込めるサービスの話になった。日々の汚れ物を週に一度回収し、洗って返却してくれるサービスがあったが、施設に入る前に父親が要らないよ、自分で風呂場で洗っちゃうし、と言っていたことを覚えていたのでそのまま伝え、だから申し込まなくて大丈夫ですと断った。私の話を聞いたそうですか…大丈夫かな…と工藤さんが心配そうにしていたところ、ちょうど責任者の木内さんが談話室に入ってきた。
どう?大丈夫?と言う木内さんに、工藤さんが洗濯サービスの話をした。あら。お風呂場は共用だから洗濯したりはできないわ。そんなの持ち帰って洗うことになって娘さん大変よ、私ちょっとお父さんと話してくる。お父さんはどこにお勤めされていたの?あらそう、大きな会社で定年までご家族のためにずっと頑張ってこられたのね。ご趣味はあるの?釣り?いいわね。私も釣り好きよ。じゃぁちょっと行ってくるわね。
パパパーっと話してササーっといなくなった木内さんに少し呆気にとられていると工藤さんがうちの所長、すごいんですよ。あの調子で誰とでもすぐ仲良くなっちゃうんです。と少し笑いながら教えてくれた。工藤さんはもう大丈夫、と安心しきっている様子だったが私は不安な気持ちのまま、まだ残っている書類への署名捺印を続けた。
五分くらい経っただろうか。木内さんが戻ってきてお父さん洗濯サービス申し込んで良いって。お父さんと色々お話しちゃったわ。おもしろい方ね。じゃぁあとよろしくね、と言うだけ言って去っていった。工藤さんが、ね?所長にはかなわないんですよ、と私に笑いかけた。ありがとうございます、と答えた声が震えてしまった。
私が記入し終わった書類を工藤さんが確認していく。病院から受け取った書類にも目を通してくれた。あぁ、息苦しさを感じてからここまで短期間でどんどん症状が進んでしまったんですね。食べられなくなって、身体がいうことをきかなくて…。そりゃぁ急には受け入れられませんよね。不安でしょうね…。お話を聞きながら、お気持ちに沿うようにケアさせていただきますね。
堪え切れなくなった私は泣きながらありがとうございます、よろしくお願いします。と答えた。工藤さんが心配そうに大丈夫ですか…?と私に尋ねる。すみません、大丈夫です。あの、父を、父のことを…そんな風に父の気持ちに寄り添って思いやってもらったのが、初めてだったので…。
そうだった。病気になったからではなく、ここまでの人生で私が見てきた父親は、自分の要望を一方的に話すばかりで、誰にとってもずっと「困った人」で「対処する相手」でしかなかった。父親には「分かってもらう」存在がいなかった。もちろん、父親からの発信に対する受け身な善意だって、それはもう大変にありがたいものであることは間違いない。周りの方には感謝してもしきれない。それはそれとして、でも、父親の立場や思いを汲んで能動的に関係を築こうとする優しさに初めて触れた私は、これまで父親は孤独だったのだと気付き、そしてその孤独が救われたような気持ちになって、後から後から溢れ出る涙を止めることができなくなってしまった。
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