star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(19) 施設からの帰路

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工藤さんが差し出してくれたティッシュで涙と鼻水を拭いながら手続きは進んだ。工藤さんとの話が終わると、訪問介護士、ケアマネジャー、在宅医、薬剤師、介護用品レンタルの営業マン…と人が入れ代わり立ち代わりやってきて、私はひたすら契約書に署名と押印を続けた。入所する施設は看護師が勤務する老人ホームという、いわば箱を提供するだけの施設で、その中で介護を行う人、診療を行う医師、薬剤を処方する薬剤師、介護保険を利用するための申請や手続きを行うケアマネジャーなどはそれぞれ別の会社から訪れる形で、そのため各社と契約する仕組みらしい。だんだん泣いてる場合じゃなくなってきた。どの契約書でも、私が父親と私の名前を書いて、それぞれの印鑑を押すことで手続きができた。父親は身体の具合が悪いだけで意識も意思もしっかりしているのに、こういう対外的な契約は家族である私だけで進めることができるのだ。私にとって頼るべき大人でしかなかった父親は、いつの間にか私が守るべき弱者に変わっていた。また父親の老いを感じて切なくなった。

全ての手続きを終えたのはおよそ三時間後だった。すっかり日が暮れて、外は真っ暗だった。ぐったりしながら父親の部屋に戻る。父親はベッドの上に座って高カロリーの点滴を受けていた。私が戻ると木内さんがやってきて●●さん、娘さんが色々手続きしてくれたよ、本当によくやってくれてるねぇ。こんな孝行な娘さんいないよ、と父親に話しかけた。父親が退院してから初めて笑顔を見せた。笑ったまま黙って私を見上げる。木内さんがあら良い笑顔、と言った。
木内さんが夕方の検温などを終わらせて去ってから、父親のベッドに腰かけてもう一度一緒に鍵付きロッカーを探し、じゃぁこれにするね、と父親に確認しながらその場で発注した。あとはテレビ必要だよね、と私が言うと父親がうん、大きいのにしてくれよ、小さいのじゃいやだから。と言ったので分かった分かった、と答えた。
じゃぁそろそろ帰るね、来週、病院の予約があるからね、また迎えに来るから。と私が言うと父親があぁ、と言ってベッドから立ち上がった。そして私の手を取って握ったまま、黙って俯いて動かなくなった。

まだ私は諦めてないよ。抗がん剤を続けるんでしょう。諦めないで。がんばってよ。

父親の手を握り返し、父親の目をまっすぐ見て言った。声が震えないように張った声を出した。父親は私を見て小さくうなずいた。

じゃぁ、またね。来週ね。お大事にね。と言う私に父親がうん、ありがとう、気を付けてと答えた。そのまま病室を後にしてエレベータで階下に降り、受付にありがとうございました、よろしくお願いしますと声を掛けて施設を出た。

スマホのマップで駅までの道を調べて五分ほど歩き、電車に乗った。休日夜の上り電車は空いていた。
長い一日だった。ぼんやりと朝からの出来事を振り返る。工藤さんとのやりとりを思い出し、こんなに父親に優しくしてもらえて本当に良かった。本当にありがたい。と思ってまた涙が滲んだ。それから施設を出る直前の父親とのやりとりを思い出して涙が溢れた。私は父親を励まして良かったんだろうか。あんなに痩せ細って、何も食べられない人にもっと頑張れというのは酷だったんじゃないだろうか。だけど、じゃぁ、何を言えば良かったんだろう。分からない。どうしたら良いのか分からない。
病棟で会ったときの、誰か分からなかったほど変わってしまった父親の立ち姿や、タクシーの中でずっとパンフレットを握りしめていた父親の手や、帰り際に見た父親の俯いている顔が繰り返し何度も浮かんでは消えた。マスクをしていて良かった。顔中ビシャビシャになりながら、家まで二時間の距離を電車に揺られ続けた。

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