star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(20) 最初の通院

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施設から帰った翌日、夫に付き合ってもらって家電屋さんへ行った。父親のテレビを買うためだ。テレビのサイズや録画の容量、画質、などを見比べて、悩みに悩んでそれなりのお値段がする国内メーカーの製品を選んだ。配送の手配をする際、設置と初期設定まで終わらせてくれるサービスがあるとのことで一緒にお願いした。これで一安心だ。部屋履きはネットショッピングで踵があるタイプのスリッポンみたいな軽い靴を見つけて手配した。
夜、父親に電話を掛けた。テレビと靴を買ったからね。テレビは明後日届いて、そのまま届けた人が設定してくれるから。と説明すると、父親がテレビも靴も施設の人が貸してくれたからもういいよ、要らないよと言った。私に遠慮している様子だったのでいいからいいから、もう手配したから、と答えると、そう…?悪いね。と父親が言った。入院していた頃のざらついた悪いね、では無かった。うん、大丈夫だよ、と返してじゃぁまた来週ね、と電話を切った。

週明けには施設から電話が来た。何事かと不安になって電話に出ると、介護士の篠原さんと名乗る方が実は…と昨日の出来事を話し始めた。
お父様なんですけど、外出ができると思われていたようなんです。それで昨日、コンビニにスポーツ新聞を買いに行こうとされて…。職員総出で止めたような状態で。お父様がちょっとあの、パニックに近い状態になってしまって。こんなところもう居られない、出て行くと言い始めてしまったんです。
情景が目に浮かぶようだ。篠原さんに気づかれないようはぁ、とそっと溜息を吐いた。
それでですね、本来は禁止されているんですけど、職員が代わりにコンビニに行って新聞を買ってその場はなんとかおさまって。後でうちの施設とお付き合いのある新聞屋さんに相談したら、定期購読じゃないけど週ごとに一部ずつの購入でも届けてくれるそうなので、代金は毎月まとめて支払えば良いとも言ってもらえたので、新聞屋さんにお願いしてもよいでしょうか。一応お金が絡む契約ですから、ご家族の同意を取ってからと思いまして…。

はい、大丈夫です。お願いします。ご迷惑をお掛けして本当にすみません…。と答えて電話に向かってペコペコと頭を下げながら電話を切った。まぁ、もう、なんとかなったならいいや。うん。

翌週、約束していた通院の日。先日と同じように始発で父親が待つ施設へと向かう。あと三十秒で電車が施設の最寄り駅に着く、というところで施設から電話が来た。何事だろうと不安になりながら電話に出ると、あ、●●さんの娘さんですか。看護師の小林ですけど、今日通院のご予定ですよねと聞かれる。はい、もう駅について向かうところですと答えたら実は●●さん、昨日から熱があって今朝も下がらなくて…今解熱剤を入れたんですけど、ちょっとまだ効かないんですよね。と言われた。
えっと…と言葉を失っていると、もしかしたら病院で診てもらえないかもしれないのでちょっと病院に聞いていただいても良いですか。と続けられた。とりあえずもう着いたんで向かいます、と返して電話を切る。
なんで今?このタイミングで言われて私にどうしろと?という気持ちを押し殺しながら駅前のコンビニでクラッシュゼリー飲料を買ってその場で飲んだ。飲み終わって歩きながら病院へ電話を掛ける。診察時間より二時間以上早かったが、電話は繋がった。あの、今日予約をしている●●なんですが、熱が出ているようでして…診てもらえるでしょうか…と尋ねてみる。電話に出た人が自分は警備担当なのでちょっと分からないですね…と申し訳なさそうに答えた。ですよね、すみませんわかりました、と言って電話を切った。考えるのを止めて施設に向かった。 玄関前にはすでに予約したタクシーが待機していた。運転席の窓に近づき、すみません、本人を連れてくるので少しお待ちください、と断りを入れて施設に入る。検温と手指の消毒を済ませて父親のいる階へ上がった。
父親の部屋の手前にあるナースステーションに声を掛ける。あ、先ほど電話した小林ですと若いスタッフが立ち上がって出迎えてくれた。昨日三十九度あって、今朝測ったらまだ三十八度だったんです。本人はピンシャンしていて、昨日もお元気で、ずっと廊下を往復していましたし、今朝もだいぶ早い時間から起きてご自分で着替えも済ませているんですけど…と様子を教えてくれる。なるほど。ピンシャン。
病院はまだ先生がいなくて診てもらえるか分かりませんでした。と報告してどうしたものか、小林さんと二人で考え込む。止めた方が良いかな、でも着替えてると言うことは行く気満々なわけだ。止めようと言ったら何と言うだろう…。
答えが見つからないまま突っ立っていたら、部屋から父親が歩いて出てきた。おう、行こうよ、とこちらに向かって言った。熱あるんでしょう、と聞くと大丈夫だよと答えた。これは連れて行くしかないな、と私は覚悟を決めてもう行きます、と小林さんに告げ、施設を出発した。父親は鼻から吸う酸素を着けるようになっていて、小林さんがカートに乗せたボンベを持たせてくれた。お待たせしてすみません、■■病院までお願いします、と運転手さんに告げて出発した。

父親はずっと窓の外を眺めていた。久しぶりの外出で嬉しかったのかもしれない。あぁ、紅葉が始まってるななんて話をしていた。思ったより元気そうな様子に私もほっとしていた。

病院に到着した。診察券を受付機に通し、出てきた予約票を持って指定の病棟に向かう。予約票の順番では耳鼻科が最初だった。耳鼻科の受付で父親が診察券を渡すと今日は熱は測ってきましたか。何度でしたか、と聞かれた。えーっと何度だったかな…とトボける父親に受付の人が体温計を渡す。二度三度と試すが体温計の表示は三十八度台をキープしたままだった。どうにもならないので諦めてそのまま受付の人に見せた。えっ、という顔をした受付の人がちょっと待っててくださいね。と奥に引っ込んだ。数分で戻ってきて、ちょっとこちらでもう一度測ってもらえますか、と違う体温計を渡された。結果は同じだった。もう一度受付の人が奥に引っ込む。今度は十分以上待った。戻ってきた受付の人に、主治医の尾田先生にこのまま診察受けて良いか判断してもらわないとこの先進めないので、先に外科へ行ってください、と案内された。仰せの通り外科へ行き、外科の受付で名乗る。耳鼻科から先に話が通っていたようで受付の人にあぁ、ちょっと座って待っててくださいね、と言われた。父親と並んでおとなしく待っていると、看護師さんに名前を呼ばれた。コロナの抗原検査して陰性だったら診察できると先生が仰ってるので、こちらで検査受けてもらいますね、と別室に案内される。父親はベッドに横になるよう指示され、看護師さんが父親のベッドの周りをカーテンで仕切った。私はカーテンの外側で丸椅子で座って待つよう言われた。そのまま待機していると、シャワーキャップのようなもので頭を覆い、全身を防護服で包んだ看護師さんがやってきてカーテンの内側に入って行った。検査結果が出るまでこのまま待っててくださいね、と言われた直後、父親がごそごそ起き出す気配があった。防護服を脱いだ看護師さんが気付き、どうしました、検査結果分かるまでここから出られないですよと声を掛けるとトイレに行きたい、と言う父親の声が聞こえた。あぁ、でも出られないのでね、尿瓶でしてくださいね、と答える看護師さんの声と、尿瓶で用を足す音が聞こえた。
検査結果はなかなか出なかった。待ちくたびれた私の耳に、父親の寝息が聞こえてきた。こんのやろう。人の気も知らないで。

三、四十分も経っただろうか。ようやっと看護師さんが来てコロナ陰性だったので受診できますよ。このままここで採血しちゃいますのでね。もう少しお待ちくださいねと言われた。ほっと胸を撫でおろす。採血でもなかなか血が抜けず看護師さんたちがざわついたが、ベテランらしき人が来たら一発で終わっていた。水分が足りてないとね、採血しにくいんですよ。水分摂るようにしてくださいね、と看護師さんに言われた父は、飲まず食わずを強いられていることには触れずそうですか。分かりました、と答えていた。この場だけでも普通に扱われたいのかなと思うと切なかった。

ようやく無罪放免となったので他の人に混ざって待合室で座って待つことになった。外科の待合室に座っていたら耳鼻科から看護師がやってきて、今なら耳鼻科先に見られるって先生が言ってるので来てもらっていいですか、と声を掛けられた。面喰いながらも急いで耳鼻科の待合室に移動する。着いたらすぐ診察室に呼ばれた。軽い問診と気管の器具の交換だけで五分もかからず完了。また外科の待合室に戻り、さらに一時間近く待たされてようやく診察室に呼ばれた。

診察室に入ると、主治医の尾田先生が開口一番こういうご時世だからさ、通常は熱が出てたら診察できないのよ、と言った。ですよね、すみません、すみません、と私が平謝りする。しれっとした顔の父親と平謝りする私を交互に見てから先生はまぁ、とにかく…と父親の首元を触診しはじめた。癌は大きくはなってないね、うん、と頷いてから熱が上がったり下がったりしているという父親の話を聞いて先ほどの血液検査の結果に目を凝らした。うーん…敗血症の症状が出ているわけではないし、少し炎症反応が起きてるかな。点滴を挿すポートから雑菌が入っているかもしれないね、熱が出ている時は点滴を注視して様子を見てみて、と言われた父親は最初から最後まで素直にはい、はい、と話を聞き、お礼を言いながら椅子から立ち上がった。診察室から出る間際に父親が先生、カフェオレくらいなら飲めますかね。と聞いた。尾田先生はいや、ちょっとまだ難しいかな…と言いにくそうに答えた。そうですか。わかりました。と父親は頷き、そのまま診察室を後にした。

次は抗がん剤を打つための部屋へ移動する。そこでは抗がん剤専門の医師が待機していて、父親の様子を診察してから点滴で投与する薬の内容を指示する流れだった。診察が終わると歯医者さんに置かれているようなでっかいソファが並ぶところへ誘導される。薬の準備と点滴でだいたい一時間は必要だから、娘さんは一時間後に迎えに来ていただけますかと看護師さんから言われた。分かりました、と答えて父親にまたあとでね、と声をかけてその場から離れた。もうこの時点で午後三時を過ぎていた。父親の前ではぜんぜん平気、と強がっていたが、朝にクラッシュゼリーを摂ったきりだった私は空腹と喉の渇きと待ち疲れでぐったりしていた。近くのカフェに急いで行って、ぼそぼそしたサンドイッチを吸い込むように食べ、ごくごくとカプチーノを飲んだ。

一時間はあっという間に過ぎた。父親の元に戻ると、先ほど私に戻り時間を指定してくれた看護師さんとちょうどばったり会うことができて、あら、お父さんもう少しで終わるから少しこちらの方で待っててくださいね、とすぐ様子を教えてもらうことができた。椅子に座って待っていると、五分ほどで父親が来た。おつかれさま、と声を掛けてじゃぁ行こうか、と二人で廊下を歩く。最後はリハビリだった。

リハビリの受付で名乗る。予約時間をかなり過ぎてしまっていたので受けてもらえるか心配だったが、ちょうど空いている時間だったようですぐにリハビリの先生が来てくれた。初めまして、真田ですと挨拶された。優しそうで感じのいい先生だった。ここでも私は特に必要ないかなと思って席をはずそうとしたが、真田先生が娘さんも来ていただいて良いですか、と言われたので一緒にリハビリ室に入った。真田先生はほんの一口程度水が入ったコップを父親に手渡した。父親が水を飲み込む様子をじっと観察し、リハビリ運動してますか、してくださいねと言ってから父親の後ろに回ってゆっくりと首や肩をマッサージしてくれた。父親はとても気持ちよさそうだった。
五分ほどでマッサージは終わり、リハビリはおしまいとなった。ここだと月に一回しかリハビリできないので、施設の方でも飲み込みの練習ができないか相談してみてくださいね、と、真田先生は今度は私に向かって言った。はい、と答えて部屋を出た。

お会計を終える頃にはもう午後五時を回ろうとしていた。父親は施設の費用が引き落としされる口座にお金を移したいと言って、何日か前から通院の帰りに銀行に寄ってくれよと言っていたのだが、そんな時間じゃなくなってしまった。さすがの父親も疲れたようで、もう六時になっちゃうから銀行は次の通院の日に行こうと言う私の言葉に素直にうなずいた。タクシーに乗ろうとしたところであまりにも帰ってこない私たちを心配した施設から電話が掛かってきた。すみません、今終わったので帰ります、と答えて電話を切る。いやぁ大変だったなぁ、と他人事のようにシッシッシと笑う父親に本当だよもう勘弁してよ、と大げさに嘆いて見せながら施設へ戻った。父親は部屋に戻ってすぐ血圧やら体温やらを測られ、ポートを使わない水分補給のための点滴を打たれ、とてんやわんやだった。 私が買ったテレビは無事に設置されていたが左右についてる脚の幅が広過ぎて施設が貸してくれたというテレビ台からはみ出していた。あれ、脚が乗らなかったねと私が言うと父親がそうだよ今どきこんな脚のテレビ無いよと文句を言った。まぁいいじゃん、テレビ台も探すよと答えてじゃぁ帰るね、と言って父親のバッグを手に取る。父親は通院の後で銀行と、ついでに実家にも寄るつもりだったらしく家に戻したい病院まで荷物を持ち歩いていたのだ。これ、今から私が実家に寄って戻しておくから、と言うと父親はカンタくんに申し訳ないなぁ、と嬉しそうな顔で口だけで言った。うん、大丈夫だよ。お大事にね。と返して急ぎ足で施設を出た。くたびれ切っていたが、わりと元気そうな父親の様子に安堵を覚えてあまり腹は立たなかったし、悲しい気持ちにもならずに済んだ。


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