star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(22) 二度目の通院

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なんだかんだと忙しくしているうちに、二度目の通院の予約日が近くなった。前日に父親から電話が来て、明日も早く来てくれよな、と言われる。わかったわかった、もう熱出さないでよ、熱出てたら行けないからね、と答えて電話を切った。施設からも電話があった。お父様なんですけど、以前から強いご希望があって訪問医の先生からも許可が降りたので、小さなゼリー状のものなら食べて良いことになったんです。小さい一口サイズのプリンとかを買ってきてもらえますか。と言う内容だった。嬉しい知らせに少し明るい気持ちになる。分かりました。明日持っていきます、と答えて会社帰りスーパーに寄って浮き浮きとプリンを買った。翌朝は帰りに銀行に寄れたら寄ろう、証券会社にも行けるだろうか、と考えながら始発の電車で向かった。
前回の反省をふまえて電車の中でしっかりとおにぎりを食べた。これでしばらく持つだろう。あとはまた父親の抗がん剤の時間に何か口にすれば良い。気合を入れながら最寄り駅で降りて施設に向かって歩いた。

いつものように施設に入り、検温を終えてナースステーションでプリンを預けてから父親の個室に入る。父親は準備を終えていたが、看護師さんが酸素ボンベから酸素を出すのに苦戦していた。管を何度も抜き差ししてはバルブを開くが、プシュー、と酸素が漏れる音がするだけで管から酸素は出てこない。そのまま二~三分あれやこれやと試し続け、やっと管から酸素が出たのを見届けてよし準備できた、さぁ、いってらっしゃいと看護師さんが私と父親の方を向いた。父親はベッドからゆっくり立ち上がり、近くに止めてあった車椅子を指さして乗って行く、と言った。看護師さんがびっくりしてえ、●●さん歩けるじゃない、と声を上げたが父親は完全無視でさっさと車椅子に座った。あんまり調子が良さそうには見えない父親に向かって私は車椅子を乗せられるタクシーじゃないから、下までこれで行って病院では備え付けの車椅子を借りるって形でもいい?と父親に尋ねた。いいよ、と言われたのでじゃぁ行こう、と父親の後ろに回って車椅子を押した。看護師さんがあ、それじゃ私がボンベ持って下りますね、と言ってくれたのでお願いしてそのまま玄関まで出た。後部ドアを開けたタクシーのギリギリまで車椅子を寄せる。父親がゆっくりと乗り込んでいる間に看護師さんが、先週もまたお熱が出てたんですけどお小水の回数も多かったんです。だから尿管の炎症かもしれないって訪問医の先生が見立てて抗生物質を投与したら落ち着きました。熱が出てたので高カロリーの輸液ができない日が多かったんですよ。病院でしっかり見てもらってくださいね。ここじゃなんの検査もできないので…と最近の様子を教えてくれた。なんの検査もできないならできないなりに、申し送りみたいなのはしてくれないんだろうかと小さな不満が頭をもたげたが黙ったまま父親の乗車を見届け、看護師さんから酸素ボンベを受け取り、車椅子を預けて出発した。

車中ではほとんど喋らなかった。病院につくとタクシーの運転手さんに声を掛け、そのまま待ってもらって入り口に並んでいる車椅子を借りて父親のところに戻る。父親がタクシーから降りて車椅子に座ってから、運転手さんに代金を支払って酸素ボンベを下ろして病院の中に入った。酸素ボンベもキャリーに乗せられているので、ボンベと車椅子を片手ずつで操作しなくてはならなくてなかなか大変だった。

前回と同じように機械で受付を済ませて耳鼻科へ向かう。今日は飲み込みの検査するから、と言われて少し離れた場所で父親の様子を見守る。耳鼻科の先生が気管に挿入されている器具を外した。訪問医が交換した器具だ。ったく、素人が、とぶつぶつ言うのが聞こえた。
器具の交換が終わると耳鼻科医は父親に色のついた水を口に含ませ、鼻からカメラを入れた状態ではい、飲み込んで、と声を掛け、水が通る様子を見ていた。いつのまにかリハビリの真田先生もやってきて検査を見ていた。うん…動いてないね。と耳鼻科医が言う。そのままカメラで喉の中をくまなく覗いているようで、えーっとここは、と…むせない。これ、むせない?むせないか…?(このあたりで父親が苦しそうに小さくけほけほと言った)あ、むせたむせた。などとやっていた。こわかった。

続けて外科へ。一時間近く待って呼ばれた。父親が病室に入った瞬間、尾田医師が痩せちゃったねぇ!と驚いた声をあげた。今朝看護師から聞いたばかりの話を尾田医師に説明する。うーん、そう。でも経緯が分からないからなぁ…。メモ書きでいいから、次回はいつどんな状態で何を処方したか、とか日々の記録を出すように言ってくれる?と言われた。そりゃそうですよねと思いつつはい、分かりました。と答えた。父親は尾田医師にまだ食事を出してもらえないんですけど、お粥とかでも食べたらだめですか。と聞いていた。尾田医師は言いにくそうに、いや、お粥はちょっと難しいかなと答えていた。

抗がん剤の医師の元へ行く前に父親がトイレに行きたい、と言った。男女別になっていない優先トイレは使用中だったので、ほとんど躊躇することなく車椅子を押したまま男子トイレに突入した。個室の入り口まで車椅子を近づけ、大丈夫?これで入れる?と聞くと父親がうん、と言ってゆっくり立ち上がり個室のドアを閉めた。いったん車椅子を引いて隅っこに移動し、トイレの入り口に背を向けて、できるだけ壁と一体化するように立って待った。時々用を足しに入ってくる人が、壁に車椅子を向けてぼーっと突っ立っている女に気付いてぎょっとした顔をするのがおもs…もとい、申し訳なかった。あ、すみませんと無言のまま顔だけで言って会釈しまた壁の方を向いて俯く。病院と言う場所や車椅子という小道具のおかげで皆さんだいたいの事情を察してくださり、すぐに素知らぬ顔に戻って何も言わず個室へと消えていった。

父親のトイレが済んで抗がん剤の医師のところまで行った。診察室に呼ばれるのを待っていると父親がおい、これ、酸素出てるか?と鼻に着けていた管を私に向けてきた。ん?ちょっと分からないけど…音がしないね。と私も不思議に思って通りがかった看護師さんに声を掛けて見てもらう。あ、酸素ボンベ空になってるわ。と看護師さんがすぐに気付いた。マジかよ。今朝の施設で何度もプシュプシュと酸素を漏らしていた看護師の姿が浮かんだ。マジかよ。
看護師さんがちょっと待っててね。とりあえず院内ではボンベ貸してあげるから。と言ってすぐに替えのボンベを持ってきて交換してくれた。院内ではこれを使っててもらって大丈夫だけど、外に持ち出すことはできないのよね。だから施設にあるのを持ってくるしかないかな…と看護師さんが気の毒そうに言う。短時間なら酸素無しでも問題ないとは思うけど…と続けてフォローしようとしてくれたが、すかさず父親がこれが無いまま帰るのはいやだ、と言った。うん、はい、分かりました。 ひとまず抗がん剤の医師の診察を受ける。ここでもやはり父親の痩せっぷりを見て驚かれてしまった。ちょっと今日は抗がん剤止めておきましょうか。体力が無いと逆効果になっちゃいますので。と医師が言って、結局抗がん剤の投与は中止された。肺炎になっていないかだけ確認したいのでレントゲン検査を手配しますね、と言われて今度はレントゲン室に行くことになった。ここでも左手で車椅子、右手で酸素ボンベを操ってあちこちにぶつけながら移動していたら抗がん剤の担当医が大丈夫ですか、手伝いましょうか、と声を掛けてくれた。大丈夫です、だいぶ慣れてきたので、とボンベを椅子にぶつけながら私が返すと医師は吹き出しそうになったのを我慢していた。

レントゲン室は一つ下の階にあった。さすがに撮影室には入れないので、車椅子の操作をレントゲン技師さんにバトンタッチして廊下で待つ。五分ほどで父親が車椅子に乗ったまま戻ってきた。まだシャツの前が開いている状態だったが、歩きながら着るわけじゃないからとさして気にせず、そのまま父親の背に回って車椅子を押して診察室に戻ろうと一メートルほど進んだところで父親が私を振り返ってボタン、閉めてくれるか、と言った。 あぁ、ごめんごめん、とすぐに車椅子を止めて父親の前へ回り、シャツのボタンをひとつひとつ閉じた。はいできた、行こうかといつも通りの軽い口調でやり過ごしたが、車椅子で移動すると言ったときよりも父親の衰えを突き付けられた気持ちになって衝撃を受けた。そうか、老いたらこういうこともできなくなるのか。そうか。頭の中ではそうか。という言葉だけが繰り返されて受け止めかたが分からなかった。

抗がん剤の医師の診察室に戻る。レントゲンを確認した医師がうん、肺炎は大丈夫ですねと頷いてじゃぁ今日はこれでおしまいです、おだいじに。と言った。診察室を出る。さぁ、酸素ボンベをどうにかしなくては。

残りはリハビリだけだった。前回、リハビリの予約時間を大幅に超えてしまった反省を活かして、かなり余裕をもった時間で予約をしていたうえに、抗がん剤が中止されたのでさらに時間が余っていた。もうこれは取りに行くしかないだろうと覚悟を決め、父親にリハビリまでけっこう時間があるから酸素ボンベ取ってくるよ。病院で待っててくれる?と言った。父親が分かった、と答えたので先ほどボンベを交換してくれた看護師さんにまた声を掛けて事情を説明し、父親を待合室に座らせておいてもらうことにした。

父親の前では冷静を装っていたが私だってはらわたが煮えくり返っていた。酸素の残量確認しなかったのかよ。素人かよ。むかむかしながら施設へ電話をかけた。出た人にすみません、今日通院で外出している●●ですけど。酸素がなくなっちゃったんですけど。と言った。受付の事務の人だったらしく、え、ちょっとお待ちくださいね、●●さんを担当している階の看護師につなぎますねと言って保留にされた。次に電話に出た人が、あー酸素が無いって言ってるそうですね。なんでだろ。それってボンベを取りに来てもらえるんですか。とやけにくだけた口調で言うので、もしもし、こちらが、取りに、行くってことでいいんですか。それしかできないんですよね、と少し強い口調で話しかけた。どうも電話に出た人はまだ受付の人と繋がっていると思っていたらしい。電話口にいるのが利用者の家族だと分かって少し慌てた様子であ、すみません、そうですね…。酸素が無いのであれば、新しいのをご用意しておくので…と改めて言われた。そんなことだろうと思っていたのでわかりました、今から行きます。と答えてさっさと電話を切った。病院から施設まで電車を使ってドアtoドアで四十分くらい。タクシーを使っても時間はほとんど変わらないし、渋滞に巻き込まれるかもしれない。電車を使おうとすぐに決めて駅までの道をガッシガッシと歩いた。

施設に到着し、検温をスルーしてそのまま父親の部屋がある階に上がる。ナースステーションに向かってすみません、●●ですけど。酸素取りに来ました。と声を掛けた。あぁ来ていただいてすみません。新しいのを用意したのでこれなら大丈夫なはずです、と新しいボンベを渡される。疲れと空腹でイライラがピークに達していた私は受け取りながら酸素の残量とかって確認しないんですか。と聞いた。いえ、する手順にはなっているんですが…申し訳ありません、と言われてじゃぁなんでだよ、と思いつつ無言でエレベーターに乗って一階に戻り、駅に向かってさっさと歩いた。

ちょうど良かったわ、とちゃっかり途中でまたクラッシュゼリーを飲んで落ち着き、病院へと戻った。父親の待っていた場所へとまっすぐ向かった。父親は出発した時とおんなじ様子で座っていた。クラッシュゼリーのおかげで少し回復した私はお待たせ、と父親に声を掛けた。看護師さんに手伝ってもらって病院からお借りしたボンベから私が持って来たボンベに交換している間、父親がえらい目に遭った。考えられねぇ。とブツブツ言うので、お父さん待ってただけで何もしんどいこと無かったでしょ。しんどかったのは私でしょ。しんどいめに遭った私がもういいって思ってんだからもういいんだよ。と言った。もうこれ以上父親に誰かのことを悪く言ってほしくなかった。ギリギリまでマイナスポイントを貯めてくれるなと思っていた。

リハビリの時間にはまだ余裕があったが、試しに受付に行って聞いてみるとまたちょうどタイミング良く空いていてすぐ受けることができた。先に検査を見ていたリハビリの真田先生が、やはり施設でもリハビリをしないとここだけでは足りないと思います。良かったら、私からケアマネジャーさんに連絡とって、施設に訪問できるリハビリ技師さんを手配してもらいましょうか、と言ってくれた。契約したケアマネジャーは役場とのやりとりを引き受けてくれなかったり、入所して以来一度も連絡を寄こさなかったりで、あまりこちらから連絡したいタイプじゃなかったので、真田先生からの願ってもない申し出に私は飛びき、喜んでお願いした。
ケアマネジャーの連絡先と社名を伝え、前回と同じようにマッサージをしてもらいリハビリは終わった。父親はだいぶ辛そうだった。会計を待ちながら、お父さん調子悪そうだから今日はこのまま帰ろう。銀行は日を改めて早い時間から行こうよ、と言うと父親は無言で頷いた。あんなに行きたがっていたのに素直に言うことを聞く父親を見て本当に具合が悪いんだな、と心配になった。このまま熱が下がってちゃんと点滴を受けられるようになればいいな。

病院からタクシーで施設へと戻った。季節は初冬で、平均より気温が高い日で長袖だと少し汗ばむくらいだったにも関わらず父親がタクシーの中で寒い、と言った。えぇ、寒いの?と答えたが羽織るものもなく、運転手さんに暖房入れてくれというのも忍びなくてそのまま車を走らせてしまった。降りる間際、タクシーの運転手さんが同じ料金で車椅子ごと乗り入れられるタクシーがありますよ。よかったら利用してくださいね、と教えてくれた。親切なアドバイスに御礼を言いながら料金を支払った。そんな便利なものがあるのか。次はそれを探して予約しようと決めた。
施設に着いて部屋に入ると看護師さんたちがわらわらと集まってきて●●さんごめんね、酸素足りなくなっちゃったんだってね、これ、吸うときだけ酸素が出る設定になってなくてずっと出っ放しだったみたい。と口々に父親に説明した。父親がそんなの知らない、と言い捨てるとそうだよね、ごめんね、とまた口々に謝ったので父親はそれ以上何も言わず自分でエアコンの暖房をつけ、検温や血圧測定を受けていた。

一通り夜の定期観察が終わるのを見届けてからじゃぁ帰るね、お大事にね。と声を掛けた。疲れていたらしい父親はうん、ありがとう、と答えてベッドの中から私を見送った。


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