star_of_bba’s diary

甲状腺、卵巣と立て続けに手術したのち遊び歩いてます。

父を送る(23) 広がる不安

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通院の後から父親の電話の頻度が一気に減った。そんな中でも私は日常を続けていて、文学フリマにも出店した。当日の朝、設営が終わって開場した直後に父親から電話が来た。周りがざわついていたし父親の声もいつもより弱々しくてあまりちゃんと聞き取れなかったが次の病院の予約の確認と、医療保険の申請と、銀行に行きたいといういつもの話の繰り返しだった。うん、わかった、わかったよ、と繰り返して電話を切った。

車椅子で病院に連れて行った日のことが頭から離れなかった。ボタンも閉められないほど弱っていたことが思った以上にショックだったようで、これでいいのだろうか、という漠然とした気持ちが胸の中で鉛のように沈んで消えなくなった。「これで」の部分もよくわからないまま、どうしよう、どうしようと思い続けた。父親は本当に長くないかもしれない、と初めて実感した。

夫に相談して年末の旅行をキャンセルした。キャンセルしたことでこの頃からもうお正月はどう過ごしたら良いだろうと悩み始めた。施設に会いに行くか。家に帰りたいというかな。帰らせてあげられるだろうか。帰ったらきっと何か食べたがるだろうな。どうやって一緒に過ごしてあげたらいいのかな。取り留めもなく結論の出ない話をずっと考えていた。

そうかと思えばもうあまり時間がないのだから、と焦って銀行に行く日を調整したりもした。次の通院日の一週間前にしようと決めて、有休を取ってから施設に電話し、外出の予約をした。前回の病院帰りに教えてもらった車椅子ごと乗れるタクシーも予約しなくちゃと思いつきはしたものの、なぜだかどうしても気が進まず、車両を持ってるタクシー会社を調べただけでしばらく放置してしまった。
父親にも電話した。ずいぶん長いこと呼び出し音が鳴ってから父親がもしもし、と出た。通院する前の週に外出の予約したからね、そこで銀行連れて行くからね。と父親に言うとはい、はい、と妙に礼儀正しく答えてから最後にありがとう、と言って電話が切れた。

久しぶりに用事の無い週末。あまり思いつめていたら自分の方が参ってしまう、と気持ちを切り替えてしばらく行けてなかった一人カラオケに行くことにした。ふとした瞬間にぼんやりしがちだったが、ぽつりぽつりとスローペースで知っている歌を歌った。歌っているうちに気分が上がってきたので歌ったことがないYOASOBIの『群青』にチャレンジしてみる気になった。出だしはまぁまぁ詰まったりせず歌えた。YOASOBIの歌はたいてい、最初にポピュラーな感じで油断させてくる。

最初の盛り上がり部分、コーラスが始まった。そうそう、ここだ、ここからですよと少し改まった気持ちで歌詞が流れる画面を見つめる。


知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよ ほら


ふと、画面が滲んだ。あれ、声が詰まった。あれ。あれ。 ボタリ、と腿の上に冷たい小さな染みができた。どうしたんだろう。何が私の琴線に触れたんだ。

自分でもよく分からないまま、とにかく歌おうと息を吸い込む。途切れ途切れに続いた声は、とうとうしゃくりあげる息に変わってしまった。

お父さんがもうすぐいなくなっちゃう。

私はちゃんとできてるの?これで良いの?

気管切開に何も反対しなかった。

施設に入居させた。

具合が悪いのに通院で外出させた。

弟に会わせる機会を奪った。

私は正しいの?これで良かったの?

分からない、分からないよ、誰か教えてよ… 泣きながら最後は声に出して繰り返していた。 最後の数十分は全く歌えなくなって、ただ泣き続けて泣き疲れてお店を出た。


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